
京急浦賀駅で湯田さんと合流、本日のスケジュールを確認。
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これから向かう西浦賀方面はこっちの方です。
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まず中島三郎助作の碑文「大衆帰本塚の碑」前で。
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浦賀港に続く大通りの歩道にもゆかりの咸臨丸のレリーフが。
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昭和19年には従業員が16,000人を超えた明治30年創業の浦賀ドックも平成15年に明治以来106年の歴史に幕を閉じました。
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浦賀文化センター脇の高台からは浦賀ドックの全景を眺めることが出来ます。
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浦賀地域の郷土資料館の浦賀文化センターを見学。
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中島三郎助を中心とした幕末〜明治維新の資料や浦賀奉行所のジオラマもあります。
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ペリー来航時の貴重な資料などもたくさん保存されています。
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約830年前平家物語に登場する文覚上人が源氏の再興を願い、その願いが叶ったことから「叶明神」と呼ばれるようになった西叶神社を参拝。
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西叶神社社務所玄関の貴重な鏝絵(漆喰画)前で全員集合。
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屋町からの登り口に「浦賀園」の石額のかかる愛宕山公園は桜と躑躅の名所として三浦半島一円に知られており、函館戦争で戦死した中島三郎助の23回忌(明治24年)に整備されました。
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愛宕山公園内の与謝野鉄幹・晶子の歌碑前で。
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愛宕山公園からは浦賀湾の対岸に東叶神社も望めます。
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北下浦観光協会主催の「黒船きたぞ マラニック&ウオーク」が開催されていた浦賀奉行所跡は現在では奉行所をとり囲む堀の石垣と表門の前にかかっていた石橋の伊豆石が4〜5枚あるだけで当時の様子を偲ぶことはむずかしくなっています。
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現在残っている堀と石垣によって囲まれた奉行所は東西45間(約82m)南北40間(約73m)、約1,800坪(約6,000u)ありました。
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為朝を祀った為朝神社は毎年6月の「虎おどり」で知られています。
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現在ヨットハーバーの停泊施設となっている煉瓦造りの石川島造船所浦賀分工場ドライドック跡の前を通って燈明堂跡へ。
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浦賀水道の向こうには房総半島が手に取るように眺められます。
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浦賀水道を背に全員集合。
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江戸時代の石垣の上に平成元年に再建された燈明堂をバックに全員集合して。
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浦賀奉行所の出先機関の浦賀番所跡を通って浦賀駅に戻ります。
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ゴールはもうすぐ、浦賀番所跡で一服です。
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昭和47年震災50周年を機会に有志が再建した紺屋町の関東大震災慰霊塔。
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昼食会場の浦賀駅前の「岩城屋」に到着。
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美味しい地魚の定食を頂いて。
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湯田さんもご一緒に一杯やって大いに盛り上がりました。
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